無事に帰還しました
仙台から、石巻を経て牡鹿半島の鮎川まで物資を届けてまわりました。
写真は女川の漁村の岸壁からみた海。
前をみれば静かな海ですが、後ろを振り返ると地獄のような光景が広がっています。
そして、こちらも人影がなく静かです。
現場で色々見てしまって自分の中で消化するのに時間かかりそうです。
ひどい状態でしたが感情を押し殺して仕事しました。
私ですらこんな感じなのですから、現地の方ならさらにつらく、大変な事でしょう。
何年にもわたる、心のケアが必要です。
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<復興に関して思うところ>
被災地周辺の無傷なエリアの生活と経済が安定し、正常化しないことには、
被災エリアがなかなか今のひどい状況から脱することができないと感じました。
先ほど東北道が大型車解禁になったようで本当に良かったです。
ガソリンが早く届きますように。
今回、東京から避難所に物資を直接届けた事は、非常に意義があったと実感しております。
役所経由で寄付された物は、ガソリン不足、人手不足でなかなか配給が進んでいないようです。
民間は寄付だけして、ボランティアは自粛するようにとのお達しがあったけれども、
これは結果的には間違った判断であったと思います。
もうちょっと早く民間が入る事ができれば、何人か多くの命を救えたのに残念でなりません。
ただ、東北道が解禁になった今日から、東京から物資を運ぶ段階は、私の訪問した狭い地域に限っては、もう、徐々に終わりつつあると感じています。
いまや福島や茨城の方が手薄らしいです。
今回の震災を教訓に、次回の大災害に備えて新たな物資分配の仕組みを考える必要があると思いました。
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<原子力発電について>
原子力発電所は想定外の事が起きると、大変危険だという事が分かりましたね。
どんなに高い安全基準を考えても、その想定を超える事が起きれば、大惨事になると言う事。
というわけで、いかに原子力が、すばらしくクリーンなエネルギーだとしても、
やはり人類はこれに手を出すべきではないのではないかと思いました。
小さな子供にこれで遊んでも良いよ、とマッチをあげるような物です。
電気の3割は原子力発電でまかなわれているとの事ですが、
電気の使用を3割カットしつつ、電気代を上げることで何とかならない物でしょうか?
いままで、電気を湯水のように使ってきてますが、改めるべきでは?
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あと、、、
私的な事ですが、海軍の軍人だった祖父が終戦5日前に船を沈められ、九死に一生を得た場所、女川に行けて良かった。
たぶん、女川の人々に助けられ、お世話になった事と思います、
祖父がここで戦死していれば、わたし自身が産まれていないわけですから、なんか因縁?がある感じがしました。
また訪れたいと思います。