いろんな避難所を巡ってみて:僻地の漁村

3連休は都市部と僻地の避難所をいくつかまわってみました。
自分が実際に見聞きした範囲での話ですので、一般化はできません。


<僻地の漁村>

市役所の前にいた方から、あそこはまだまだ物資が足りないようだから、ぜひ行ってあげて欲しい、と言われた牡鹿半島の先端部。
物資を倉庫におろした帰りに通りかかった避難所を訪れ、聞き取り調査をしてまわりました。

牡鹿半島のG集落。
良く来てくれた、と大歓迎されました。

津波で集落は壊滅し、道路も通行できなくなり孤立。

自衛隊が到着する16日までの、4日間は外部の人が誰も誰も助けに来てくれない。
今はほぼ毎日、様子を見に来てくれるそうです。

沢の水や残骸で探した鍋で拾った物を煮て飢えをしのいだそうです。
家の残骸や山で薪を拾い、たき火をして暖をとる。

6日目に、少しだけ行方不明者の捜索をしてもらったが時間オーバーで終了。
はさまれてる所は分かってるのだが、呼んでも返事はない。

物資は少ないけれども、集落のコミュニティがしっかりしているところは、規律正しくしっかりまとまって、自然の恵みを活かしてたくましく生きていました。江戸時代の村のような感じ。
なんと自分たちで、残骸を組み合わせて風呂を作ってしまい、今日は男湯、明日は女湯、と交代で入ってるそうです。

4軒の被害の浅い家の2階と6台の車に、60人近くが分れて寝泊まり。
なぜ、全員が家の中に入れないかというと、階段を下りられない足腰の悪い方がトイレに行けないからだそうです。1Fは水が浸かったので壁がなく吹きさらし。

というわけで足腰の悪いお年寄りが、寒い車の中で夜を過ごしています。
若者なら良いけれど、お年寄りには、夜は寒くつらそうです。

後ろ髪を引かれる思いで、集落を後にしました。