ギリシャ選手団随行員ボランティアの記録 (その1)

スペシャルオリンピックス冬季世界大会というイベントが2005年3月に長野で開催され、私は会社を休んで通訳ボランティアをしました。

2週間のあいだのすばらしい出来事。

そのとき、メモ用紙に書いた日記、なくしそうなので、暇を見てブログに載せてみます。

パラリンピックと言うのは有名ですが、
スペシャルオリンピックスと言うのは知的障害者の為のオリンピックです。

日本ではあまり知られていませんが、欧米ではパラリンピックよりも有名(らしい)。

長野では3番目のオリンピック。

3つのうちで認知度は一番低いかもしれませんが
動員数では最も多く、かなり大規模なイベントになりました。 

縁あって選手団随行員ボランティアに申し込みました。

日常会話程度のスペイン語がちょっとできるので、スペインか中南米チームの
随行員に選ばれると思いきや、なんとギリシャのアルペンスキーチームに任命されました。

ギリシャ語なんて分からないよ!

期間は10日間。
成田空港で出迎えて、長野の選手村まで同行し、競技にも立ち会います。

業務内容は、通訳、スケジュール管理、その他雑用をこなす選手団の秘書業務。
宿泊・食事付きだし、面白そうだからやってみようと思って応募してみたのだけど、
やりがいはあるがかなり大変な業務らしい。

何故やろうと思ったのかもう一度考え直そう。

****おもしろそう****

珍しい体験はおもしろい。
積極的に挑戦する様に日ごろ心がけている。
東京都の林業実習コースを受講したり、ゴミ処理工場を見学したり、映画を撮ってもらったり、しかも起業をしようと、現在準備している。

珍しい体験により人生が楽しくなっている。

選手団の随行員なんて滅多に出来るものではない。
しかも知的障害者と来たものだ。
どんな奴らなのだろう。

10年前にTVで聞いて忘れられないエピソード。
森永砒素ミルク事件で知的障害者となってしまったA君。
毎日公園に遊びに行くが、いじめられて泣かされて帰ってくる。

彼は三つの言葉しかしゃべれない。

母親が何千回も繰り返してようやく教えたのが「かあちゃん」と「まんま」。

あとの一つは「バカ」。

家の者は絶対に口にしない言葉なので、みなに何千回もたくさん言われ
続けて覚えたのでしょうね、との事。

知的障害者は人様にほめられる事、称えられる事が滅多にない。
いつも無視されたり、叱られてばかり。

Special Oypmicsはそういう人でも注目を浴びて自信がつく、数少ない場だそうです。
SOでは一応、金銀銅メダルがあるのだけど、予選落ちがない。
全員が表彰台に上り、金銀銅でない人はリボンをつけてもらえる。
大観衆の前で表彰台に立つことの嬉しさは格別でしょう。

知的障害者の両親達は、時々自分の子供達が社会の厄介物扱いされている様な
気がしてしまうようだ。

でも、このときばかりはいつもは日陰者の子供達がみなの注目を集めている。
しかも思いがけなくこの子のおかげで日本旅行も出来てしまった。

親にとってはとても嬉しい事なのでは。

自分のやりがい以上に、社会的にも意義がある活動だと思う。