仙台で闇市をやってみた

余震のせいで、また停電、断水のエリアが続出。
せっかく復旧しつつあったのに電車も動かなくなってしまいました。

先週末、以前のようなボランティアじゃなくて、
ある実験のために、農家のお兄さんと一緒に東北に行商に行きました。
露天で野菜売りのお手伝いをするのに同行したのです。

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知人が、地元の若者に移動販売車を貸しあたえて、移動販売をさせるというプロジェクトを始めようとしています。
店舗が営業していない地域で、「移動スーパー」のように雑貨や食糧をうったり、都会の屋台トラックのように移動レストランとして商売をおこなう。
ゆくゆくは、屋台を「卒業」して、自ら復興した商店街に店を構える、もしくは自分で移動販売車を購入させる。
小さな起業家を育てて、復興させ、地域を活性化させる。

お手本となるモデルは阪神淡路の復興ではなく、空襲の焼け野原からの復興ではないかと思うのです。
要するに、闇市です。

会社や国に頼るのではなく、自らの手で切り開いていくたくましさが必要な時代と思うのです。
このようなことを言うと不謹慎に聞こえるかもしれませんが、自分のお店を持ちたい野心をもった若手にとってはチャンスのときではないでしょうか。

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被災者相手に商売か?と眉をひそめる人もいるかもしれませんが、
物を買うということこそ復興だと思うのです。

自立した、自分にプライドがある人なら、
支援物資をいただけるのは本当にありがたいが、
できれば他人から支援なんかしてもらいたくはないと思ってると思う。

自分で必要なものは自分で買いたいものです。

宮城県民すべてが職場がなくなってしまった人、家や財産を失ってしまった人ばかりじゃない。
自宅は無傷で、家族や職場も無事な人が大多数。

おカネはある。 
(もちろん「十分ある」、と胸張って言いきれる人は、この不景気のさなか少ないと思うが、、、)

でも電気や水道が止まって困っている。
お店がやっていない、あるいは品揃えがなくて困っている。
今後の勤め先の業績が心配だ。
そういう人が大多数。

国が行なう支援や、遠方からやって来るボランティアが行なう支援も非常に大事ですが、
こういうちょっとだけ困ってる地元の近場の方々の生活がしっかり安定して、
隣の区や市の被災した方々に手を差し伸べることができるようになると、
本当の復興が本格的に始まるのだと思います。

地元のことばを話し、土地勘もあり、地元に根付いた人々の生活を早く安定させて、
地域の経済を回し、ボランティアをしたい人がいれば活動資金を援助をしてあげるなどするのが一番。

現段階では、ボランティアはぜんぜん足りてない。
地元では充足できないから、他県に頼らざるを得ないのが現状のようです。

3ヵ月後のスタートを目指して、移動商店プロジェクトを手伝っていきたいと考えてます。
(もちろんこれは仕事ではなく、個人的な取り組みです。)

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ところで、今回持っていった野菜は飛ぶように売れました。

(東京から行ったわれわれの場合は高速代とガソリン代を考えると赤字ですが、
地元の人が同じ事をやれば、これで十分生計が立ちます)

今回、闇市を開いたのは住宅地の駅前。

この地区には、大きなスーパーが数件ありましたが、オープンしてるのはそのうち一軒だけで、入場制限で大行列。

何人かのおきゃくさんと立ち話しましたが、いろんな声を聞きました。

「終戦後の闇市を思い出すね。」

「配給は本当にありがたいと思うが、
毎日菓子パンやカップ麺では力が出ないし、病気になっちゃう。
自分で好きなご飯を作りたい」

「こういうのを待っていました。地震の最初の週が特に辛かったよ。」

「元気なおにいさん達を見てこっちも元気が出たよ! 学生さん?」 (いいえ違います)

「行列はもう飽き飽き。特にお年よりには寒い中外に並ぶのは酷。」

「好物のイチゴが食べたいな。」 (ゴメンね、イチゴは仕入れなかったの)

「毎日やってるの?」
「ぜひ明日もきて欲しい」、
と多くの方に言われましたが、移動八百屋は実験なので、
残念ながら1日限りで閉店です。

被災地の周辺の農家さんには、ぜひこの機会に移動販売をやって欲しいとおもいます。
(あ、でもこういうことすると、JAにおこられるのかな・・・)

帰りがけに、お寺に、小田原のみかんプロジェクトのみかんと飲み物を寄付して帰りました。
こっちも大変喜ばれました。